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2011年02月14日

・・・てっぽう・・・



死なぬかと雪の夕べにさげて行き   (江戸川柳)

雪の夕まぐれ、退屈な野郎が、冬眠野郎の穴ぐらを、どんどんたたいて、

巻き添えにする。その手にさげている、えものは、「ふぐ」である。

ふぐ・・・春の雪をそのままにうつして、ほんのり淡くすきとおる麗しの身よ・・・

古今を問わず、とっておき「天上の美味」だ・が、・・・・・

処理法を一歩あやまれば、そのまま「天上界」へ、ご招待となりかねない危険なしろもの・・・

縄文遺跡で、時折ふぐの骨がまとまって見付かるらしい。

ということは、縄文人も、ふぐをたべたのだ。ずいぶん死んだろう。

それでも、ふぐは、美味かった・・・

死ぬかもしれないと、分かっているけど止められない。だから、臆病もの呼ばわりをおそれた男達は、

勇気の誇示のためにも、自ら率先し、それを口にしたことだろう。

時、はるかにくだった江戸においても、じつのところまだ、ふぐのどこに毒があるのか、

はっきりみきわめていなかった。当たるも外れるも、結局、

神頼みの運不運。ふぐを指す「てっぽう」というあだ名は、

「ときどきあたる」をしゃれたもの(当時の鉄砲は火縄銃・・・)だ、ともあれ、スリル満点、

心どきどきのロシアン・ルーレットだ。これは、江戸っ子の男と生まれて逃げることの出来ない、

いわゆる大人になるための通過儀礼の、そうとう無鉄砲な食べるゲームであった・・・

(by杉浦日向子さん、大江戸美味草紙より)
      


Posted by かず at 19:42Comments(11)江戸川柳

2011年01月29日

すし・・・「江戸前にぎり」



握られて出来て喰い付くすしの飯   (江戸川柳)

川柳は、「江戸前ずし」を詠んだもの、いまやすしといえば、全国津々浦々、江戸前の看板ばかりだが、

江戸前の握りずしが登場したのは、江戸もずっと下がった、

いわゆる化政期といわれたごく後期の頃である。それだから、水戸黄門や

大岡越前は、江戸前の握りずしを口にしていない、遠山の金さんは食べたかもしれない・・・

それ以前のすしは、大津の鮒ずしに代表されるように、米の乳酸発酵を利用した長期熟成の馴れずしか、

飯の上に鯖や鮎の切り身をのせて、重しをかけて発酵を早めた押しずしのことを指した。

どちらも、澱粉の糖分で魚のアミノ酸を分解し、酸敗による旨味を引き出す製法で、

相応に時間がかかる。気の短い江戸っ子は、炊き上げた飯に酢を混ぜ、そこに魚の切り身をのせ、

キュッと握った即席ずしを発明した(裏ワザに近いだろう)。すしのヌーベル・バーグである。

従来のすしと異なる製法、そして味わいであることから、区別のため、わざわざ江戸前と冠した。

江戸前とは、江戸湾岸でとれた近海ネタを使ったというばかりでなく、

腕前、男前に通じる、江戸スタイルをも意味し、江戸の流儀で作ったオリジナルレシピだ。

「すしになる間とくばる枕かな」と一茶が詠んだように、以前のすしでは、すしふるまいには、

客に一睡してもらわないとならなかった・・・

注文した目の前で作り、すぐその場で食べられる・・・江戸前ずし・・・

「握られて出来て喰い付く・・・」は、実にセンセーショナルだった。

(by杉浦日向子さん大江戸美味草紙より)  


Posted by かず at 07:57Comments(10)江戸川柳

2011年01月18日

そばの花・・・



そばの花江戸のやつらがなに知って   (小林一茶)

 蕎麦処、信州の俳人・一茶は、江戸前にはなじまなかった。

「ふん、蕎麦の花も見たことのない江戸の連中が通だなんだと、ばかばかしい・・・」

 蕎麦好きの江戸っ子のはしくれとして、耳が痛い。

(杉浦日向子さん、大江戸美味草紙より)


江戸前を良く知らないわたし・・・耳が痛いです(^^;
(ということで、次回は、江戸前について・・・)


  


Posted by かず at 07:55Comments(12)江戸川柳

2011年01月05日

お節の花形って・・・



たいがいにしろと数の子引ったくり    (江戸川柳)

 やっぱり「黄色いダイヤ」こと数の子は、今も昔も、

お節料理の花形だ。ああもったいない、そんなにバクバク大口に食べるもんじゃない、

と取り上げた、と、現代のわれわれなら思うところだが、ブー、不正解。

 江戸の頃は、数の子なぞ、きわめて安値な塩蔵食品で、下種なおかずのひとつだった。

黄金色のめでたさと子孫繁栄のことほぎにつながる「数の子」という名を買われ、

お節の定番キャストという大出世の栄誉を得たのだ。

酒の肴としても敬遠されており、ひたすら大飯食らいの友として重宝がられた。

それは、音立ててものを噛みながら酒を飲むというのが、江戸前の美意識にマッチせず、

野暮と見なされたからだ。酒の肴は、嘗める塩、味噌類(魚介のみそ・内臓も含む)が主流で、

他は、豆腐・刺身など、音なく噛めるものに決まっていた。だから、

音が滅法派手な数の子なんてとんでもない。

この句は、四日過ぎの年始客(引ったくるくらいだから、おそらくは親しい友人)が、

下戸の大食漢で、四日過ぎに炊いた、いとしの銀シャリを、お節の残りの数の子があったばかりに、

もう一膳とおかわりする。いいかげんにしろと亭主がせつながるほどの食べっぷり、

そういった情景だ。数の子ばかりでなく、当時の塩蔵食品は、なべて塩がきつく、

一切れで飯椀ひとつ軽く平らげられたという。つまり、

これがあると飯が進みすぎて困るおかずだった。それだから、後生大事の「御飯」を、

数の子ごときに、そうやられちゃたまったもんじゃない、てぇのが正解。


(by杉浦日向子さん大江戸美味草紙より)
  


Posted by かず at 07:17Comments(7)江戸川柳

2011年01月03日

ともあれ初春・・・おはようございます。



三日喰う雑煮で知れる飯の恩     (江戸川柳)

元旦、二日、三日、の「三箇日」、江戸市民はそろって「雑煮椀」を食べるならわしだった。

これが、天下の米食い虫、銀シャリ大好きの江戸っ子にとっては、三日にわたる餅責めイコール、

初辛抱のしどころだったのである。

本来、餅はハレの日の食膳を飾る、ご馳走であり贅沢品だ。それをないがしろにするほど、

江戸っ子とは白米心棒が強いケシカランヤツバラともいえるが、そうばかりじゃない、

ちょっとした事情もあった。

江戸は、諸国からたくさんの人が流入して暮らす多国籍都市だったので、

正月は、ひとつ屋根ごとに異なる「ふるさとのお雑煮」が作られた。

白味噌、おすまし、けんちん、煮込み、などなど。もちろん、江戸にも江戸の

「ふるさとのお雑煮」がある。

江戸の雑煮は、家康が江戸入りしたころから、ずっと変わらず守り伝えられており、

将軍をはじめとし、旗本、御家人、中間、小者といった使用人まで、貴賤の別なく、

みな同じ雑煮を食べた。具は、いたってシンプル。

焼いた切り餅と醤油のすまし汁。これに小松菜、大根、里芋が、泳ぐようにパラっと入る精進もの。

あくまで、餅と汁が主役なので、その他の具は、一、二品欠けてもかまわない。

これは、めでたさに浮かれる正月気分を引き締め、奢りを戒め、質実剛健の

「もののふのこころ」を忘れないようにしようという、いかにも、

したたかな狸おやじ・家康好みの思い付きである。主従平等の椀を三日間食することにより、

家内の団結をいっそう高める効果も含まれていた。

なにせ創業者・神君家康公の教えは絶対だ。こうして代々の将軍により、泰平の世に

「質素な雑煮」受け継がれていく。社長がそうするのだから、

まさか部下が鶏肉や魚の入った「おいしいおぞうに」を食べる訳にはいかず、

サラリーマンの悲しさや、右へならえで延々そうなった。

この雑煮が、いつしか庶民層にも浸透し、裏長屋の連中も、三箇日は、これを律儀に食べた。

ほとんどフリーターの彼らが、なにも正月から辛気臭く堅苦しい「もののふのこころ」

に付き合ってやらずとも良いのだが、やはり「お膝元」・・・・

「おれっちの殿さん」の親しみがそうさせたのだろう。が、もし「家康の雑煮」が、

もっとおいしいものだったなら、江戸っ子は、三日食べても米が恋しくならなかったのではないか?・・・。

明けて四日目の「白い御飯」のありがたさ。思わず手をを合わせててから、箸をつけたことだろう。

それでも、能天気な江戸っ子のこと。わざと喉をカラカラにしてから飲むビール同様、

それはそれで正月の一興として愉しんでいたにちがいない。

(by杉浦日向子さん大江戸美味草紙より)  


Posted by かず at 07:20Comments(6)江戸川柳

2010年12月27日

ケーキもいいけどね、たまにはヨウカンなんてどう・・・?



羊羹をすなおに食って睨まれる     (江戸川柳)

羊羹の本家は中国で、遣唐使により日本にもたらされた。

その羊羹は、すなわち羊の肉や肝の羹(スープ)だった。当時の日本は、仏教一色で、

肉食はかたく戒められていた。そこで、赤小豆の粉に、小麦粉、葛粉、すりおろした山芋をあわせ、

羊の肝に似せてこねて蒸しあげ、汁にいれた。これがのち、砂糖とむすびつき、

和菓子の「流しもの」、棹羊羹に化ける。

庶民にとっての羊羹は、もてなしの茶菓子の王座にあり、客に羊羹をすすめるのは、

下へもおかぬ大歓待の表現だ。客の格により、羊羹の厚みがことなってくるわけで、

自力で立っていられず、パタリ皿にはりつく透けそうなのから、香箱ほどもある重量級まで

さまざまに供された。これはハレの「睨み鯛」と一緒で、数日、箸をつけず飾って、

眺めるだけで食事するように、まず客は、おしいただいて茶を服し、手をつけず辞去するのが

暗黙の礼儀だ。羊羹は再び戸棚にしまわれ、つぎなる客の到来まで待機する。

度重なると、羊羹の周囲が変色し、砂糖の薄氷が張るようになる。

そうなれば、渋茶の友として、亭主の夜長をなぐさめ、つとめを終える。

後続の一切れも、末永く長命たらんことを亭主は祈るのだが、運悪く、素直な客に、

ぱくりとやられることもある。

「おのれにっくきやつ、どうしてくりょう」と歯噛み。

(by杉浦日向子さん大江戸美味草紙より)  


Posted by かず at 17:31Comments(6)江戸川柳

2010年12月24日

クリスマスイブですが・・・(^^;

おはようございます・・・

今日は、江戸とは、まったく関係ないクリスマスイブですが・・・

クリスマスといえば、チキンですね・・・う~ん・・・

江戸時代にも鶏肉を食べる習慣がございました・・・って、かなり強引ですね(^^;

まあまあそこは、お許しを・・・(私もクリスマスは大好きですので・・・)

というわけで、今日のお題は、「鴨」



手をとって子に撫でさせる鴨の腹    (江戸川柳)

この鴨はお歳暮に貰ったもの。歳暮には、干鯛、塩引鮭、鮒が一般的だが、

鴨は「タラバガニの缶詰セット」のような、開いた途端、家族の顔がキラキラする一品だった。

お父っつぁんが、羽根をむしってぶつ切りにし、鴨鍋をこしらえるのだが、

その前に、子供を呼んで「ほら、これが鴨だよ、さわってごらん、ふわふわだ」とでも言っている

ところだろう。江戸では、鴨鍋を食うと向こう一年間風邪をひかないと信じられ、大変喜ばれた。

タラバ(上)とズワイ(並)があれば、鴨(上)にも鶏(並)がある。

鴨をやりとりする家は、概して家計がつましいから、いただきモノを他へ回してしまう。

それで師走には、ひからびてコチコチになった鶏が江戸中ぐるぐると巡っていたそうだ。

(by杉浦日向子さん大江戸美味草紙より)  


Posted by かず at 07:05Comments(4)江戸川柳

2010年12月23日

しゃぼん玉売り



軽い身上吹けば飛ぶしゃぼん売り   (江戸川柳)

子ども相手の営業だったから、収入のほうも(吹けば飛ぶ)程度だった。

ただし、その飄逸な姿が愛されたようで、天保三年(1832)、江戸中村座で上演された

『おどけにわかしゃぼんたまとり』の浄瑠璃の語り出しに、

「さぁさぁ寄ったり見たり、吹いたり、評判の玉屋玉屋、あきなう品は八百八町、毎日ひにち、

お手あそび、子ども衆よせて、辻辻で、お目にかけねのない代物を、お求めなされと、たどり来る」

とあった。

しゃぼん玉売りは、明治時代になっても人気があったようだ。  続きを読む


Posted by かず at 07:34Comments(10)江戸川柳

2010年12月17日

二日酔い…おはようございます。


二日酔い頼朝ほどの重みがし…

なぜか、江戸の川柳子の間の約束事として、頼朝の頭は大きいとつたわる、二日酔いの朝の頭痛を、あたかも巨大な頭に気分というところか、実は二日酔いも経験がない、よほど酒と性が合うのか…否、甘くみるやしずむ足元と知るべきか。
(杉浦日向子さん大江戸美味草紙より)

昨日、ワインの飲みすぎで…今朝の私は、まさに頼朝の頭…(^-^;  


Posted by かず at 07:13Comments(14)江戸川柳

2010年12月14日

・・・おこげ(江戸の夫婦④終)



二日寝て女房遺恨はらすなり      (江戸川柳)

ストライキの「ふて寝」・・・南無三、長期戦の構え、モウ折れるしかない。

けんかには勝ったが亭主飯を炊き・・・で、

亭主作・お焦げのご飯としよっぱい味噌汁・・・

女房苦笑い、仲直りの朝。

(杉浦日向子さん大江戸美味草紙より)  


Posted by かず at 06:57Comments(6)江戸川柳

2010年12月12日

・・・火吹き竹(江戸の夫婦③)



お内儀も手者火吹き竹にて受け   (江戸川柳)

言葉で負けて、カッとなった亭主の手が思わず飛ぶのを、はっしと火吹き竹で受けるとは、

妻もさるもの、ヤルものである。とんだ火吹き竹の応用編。

江戸で火吹き竹が活躍するのは、朝だ。上方は、昼または夜に飯を炊き、朝は残りの粥にする。

江戸は朝に炊き、昼は冷や飯、夜は茶漬けにする。

夫婦喧嘩は早く謝った方が得だ。朝、喧嘩して、ずるずる夕までタイミングを逸し、

女房に背を向けられて無言の夜が更けるのは最悪。

(by杉浦日向子さん大江戸美味草紙より)






ちなみに、うちは喧嘩してませんよ・・・・今日は、息子のバスケの試合に行ってきま~す  


Posted by かず at 07:01Comments(10)江戸川柳

2010年12月11日

酔っ払い・・・・・

今日は、久々に幼馴染と酒を酌み交わしました。

楽しい酒で少し酔っております・・・



酔いはせぬとは生酔いの古句なり   (江戸川柳)

酒席の景、「エエ、もう、じゅうぶんいただきました。ダイブ酔いました」てなうちは、

まったくもって分別ある素面(しらふ)。

「なんの、マダマダ酔ってやしねえ、うっちゃとけ、だいじょうぶだ」というころあいが、

すっかり出来あがったサイン。

(by杉浦日向子さん大江戸美味草紙より)
  
タグ :杉浦日向子


Posted by かず at 23:10Comments(5)江戸川柳

2010年12月11日

糠漬け・・・(江戸の夫婦②)



おはようございます。

昨日の、「おから」の続編です。新婚当初は、今も昔も夫婦仲睦まじいものですが・・・

それから、数年・・・

糠味噌へ手を入れる程所帯染み   (江戸川柳)

そんな蜜月もつかのま。日々怠らず糠床を掻き回す度に、新妻はいつしか糟糠の妻、

山の神へと昇格する。たまにはダメ亭主を言いこめることもある。

(by杉浦日向子さん大江戸美味草紙より)

  


Posted by かず at 08:52Comments(6)江戸川柳

2010年12月10日

おから・・・(江戸の夫婦①)



卯の花をちらさぬように嫁は喰い     (江戸川柳)

豆腐のついでに卯の花(おからの別称)も買い、おかずの一品とはやりくり上手。

豆腐のしぼりかす・おからは、安いが滋養豊富。切らず使えるので「きらず」とも

(雪花菜という麗しい当て字もある)。差し向かいの朝飯、はらはらこぼれやすい卯の花も、

初々しい妻はおちょぼ口へしとやかに運ぶ。

(by杉浦日向子さん大江戸美味草紙より)

  
タグ :杉浦日向子


Posted by かず at 07:05Comments(10)江戸川柳

2010年12月06日

海老蔵・かまわぬ?・・・



酔い醒めのぞっとする時世に帰り    (江戸川柳)

酒はそこそこ好きなほうだが、いまだかつて前後不覚の経験はない。

したたか酔いつぶれて目覚めると、あの世から急転直下、生還したかのような、

あるいは、殻が割れ、はじめて外気に触れた、羽毛の濡れたままのヒヨコになった気持ちがするらしい。

酔生無死・・・新たなるあしたと、永遠の闇は紙一重。いつでも、酔い覚めに、かならず蘇ることが

出来るとは、かぎらない。深酔いは、無謀な漂流・・・

(by杉浦日向子さん・・・大江戸美味草紙より)  
タグ :杉浦日向子


Posted by かず at 20:44Comments(9)江戸川柳

2010年12月06日

焼き芋・・・



焼き芋を温石(おんじゃく)にする下女が癪(しゃく)     (江戸川柳)

温石はカイロのことで、癪とは婦人の神経性挿し込みで、

あたためるのが良いとされているが、この下女の場合は、

理不尽なムシャクシャしたウップンも、焼き芋一本頬張れば、

一時とりあえず癒される、ということだろう。

(by杉浦日向子さん・・・大江戸美味草紙より)

  
タグ :杉浦日向子


Posted by かず at 06:55Comments(12)江戸川柳

2010年12月02日

あんこう鍋・・・


あんこうはくちびるばかり残るなり  (江戸川柳)

・・・という姿になる。

大鍋に乱切り野菜とぶち込まれ、江戸っ子たちの腹をあたためた。

ダイナミックな調理法、ベロベロの口触り、お世辞にも上品な食べ物とはいえず、

身ひとつでかっとんで歩いてかせぐ、職人衆の「温石(おんじゃく)カイロ」がわりの鍋として、

一杯いくらで立ちのまま土間でふるまわれた。

(by杉浦日向子さん・・・大江戸美味草紙)  
タグ :杉浦日向子


Posted by かず at 07:10Comments(6)江戸川柳

2010年11月30日

嫁と姑とか・・・



飯釜へ嫁の見ぬ間に一柄杓   (江戸川柳)

姑と同居の朝支度。若い者は固めの飯を好むが、年寄りは軟らかめがいい・・・

水加減をめぐる攻防。ともあれ、かまどのあるうれしさは、

毎朝炊きたての飯が食えること。

朝トントントンと味噌汁の具をきざむ包丁の音で目覚めるのは、

新婚の果報きわまれりといったところだろう。

江戸で人気の具は大根の千六本。

(by杉浦日向子さん・・・大江戸美味草紙より)  
タグ :杉浦日向子


Posted by かず at 06:55Comments(7)江戸川柳

2010年11月29日

砂糖・・・おはようございます。



生薬屋(きぐすりや)つぼから出して泣きやませ    (江戸川柳)

この句は、薬屋さんの店先のスナップ。薬好きの子供はいない。

とかく良薬口に苦しで、いやいやをしている。が、薬屋さんが、つぼからあるものを

ひとつつまみ出したとたん、泣く子もだまり、飲む気になった。

その、あるものとは、砂糖である。

江戸の頃、砂糖は薬屋でうられていた。かつては、病気にでもならなければ嘗められぬ貴重品で、

体力の衰えたものに服用させる薬であった。

 庶民にとって、甘いものといえば、蜂蜜、干した果実、麦もやしを煮詰めた麦芽糖(水飴)

甘藷(サツマイモ)、甘粕くらいのもので、砂糖は高嶺の花だった。

 江戸期の料理本には、「甘味」に「うまみ」とカナがふってある。甘いイコールうまい

という感覚であり、なべて甘味は不老不死の仙薬と信じられていた。

(by杉浦日向子さん・・・大江戸美味草紙より)


  
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Posted by かず at 07:37Comments(4)江戸川柳

2010年11月26日

納豆・・・おはようございます。



 納豆と蜆に朝寝起こされる  (江戸川柳)

 納豆と蜆も、豆腐と並び、汁におかずに、朝ごはんの主戦力。

納豆には三種類あり、精進菜の「唐納豆(嘗め味噌)」、ポロポロに干した山椒風味の「浜納豆」、

そして江戸っ子の好物、朝の定番「糸引き納豆」。

句はもちろん「糸引き」。

〔by杉浦日向子さん・・・大江戸美味草紙より〕

  


Posted by かず at 07:44Comments(8)江戸川柳