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2010年12月21日

刀を抜かない勇気・・・



江戸時代の諸藩は、どの藩も名誉を重んじた。そのため、藩士の行動には絶えず注意を払い、

藩士が江戸の町人や他藩の武士と紛争をおこさないよう教諭していた。

笑い話のようなものであるが、こういう話がある。

ある藩では、藩主が参勤交代で江戸に出てきてる藩士に、立派な刀をさすように命じていた。

藩士の一人が、江戸で遊山している際、ならず者の町人にからまれた。

喧嘩などになってはつまらないと思い我慢していたが、図にのった町人は、

「これほど言われても刀が抜けないのか」と愚弄した。

ついにその藩士は刀に手をかけ、相手と周囲の者たちは息をのんだ。

そのすきに、藩士はその場から走って逃げ去った。

その噂を聞いた家老は、この行動が武士にふさわしくない臆病な行動の可能性があるとして

その藩士を穿鑿した。しかし、その藩士は次のように弁明した。

「その町人を切り捨てることはたやすいことでしたが、その時拙者は家宝の刀を差しており、

そのようなつまらない者のために刀を汚すのはどうかと思って逃げ帰ったのです」

家老から報告を聞いた藩主は、

「そのような時のために立派な刀を差すように命じていたのだ」

と大いに喜び、その弁明を認めた。

つまり、その藩主は、町人を斬らないですむ口実を与えるために、立派な刀を差すように命じていた

というオチである。

武士は、町人に愚弄されたりすれば、身分にかけて相手を斬り捨てなければならない。

しかし、なんらかの口実が準備されていれば、それを避けることもできたのである。

新渡戸稲造氏がその著書『武士道』に書いている「刀を抜かないのが勇気だ」というような教えも、

同様の「口実」だったとも言えよう。  


Posted by かず at 19:20Comments(4)武士の生活

2010年11月22日

武士の弁当(江戸初期・・・)



江戸初期の武士の弁当は、大変質素で簡単なものでした。

その理由として、まずあがるのは「保存」です。

江戸時代初期には、まだ、戦国の習わしが残っており常時戦場の気構え・・・

保存のきかない食事で、腹を下す事は、もってのほかで、
(腹を下せば当然、武士働きも出来ないので、というか簡単に殺されてしまいますよね)

弁当は、保存のきく簡単なものと決められていました。

また、吝嗇で知られる、家康の教えも大きな要因と思われます。

あるとき、家康の供をしていた義直(家康の九男で初代尾張藩主)が、昼に弁当箱(豪華な)を開くと

「それはなんぞ?」と家康がたずねます。義直が、「弁当です」と当惑しながら答えたところ、

「武士にあるまじきことなり、なにゆえ焼き飯を持たざりしや・・・その奢りの心にては、
 国政おぼつかなし、奢りは亡国の因なり」

と大変な怒りようで、口答えもならず、義直は、往生したといいます。

少し、大げさな気もしますが、神君家康の教えとして江戸初期には、守られていたようです。

ちなみに、ここでの焼き飯は、今の焼きオニギリみたいなものだと思います。

家康の外出時の弁当は、味噌を舐めながら焼き飯を食い、茶ではなく水で流しこむというものだった

そうです。

ただし、これは、あくまでも江戸初期のはなしです。

中期以降は、武士の舌も肥え、教えも忘れられ、だんだんと贅沢なものになっていきます。

江戸城中では、保存の難しい持参の弁当に代わって、仕出しをとるようになり、

後に、同僚どうしの交代での持ち回りになったり、後輩が先輩の分も用意したりとかわっていきます。

その辺のおもしろいエピソードもあるのでいずれご紹介したいと思います。  


Posted by かず at 21:15Comments(10)武士の生活