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2011年01月22日

江戸幕府の台所事情③・・・

家光の浪費による経済効果その三 
 
 家光が幕府の組織機構を整えた寛永十年代ごろをピークに、金銀の産出は

目にみえて衰えていった。家光がせっせと浪費していたころ、金山は出がらし状態だったのである・・・

それでもまだ当時は幕庫にゆとりがあった。

家光は、嫡子の家綱に遺産を六百万両以上のこした。そのほか三男の綱重、四男の綱吉に

五十万両を分け与えている。

この家光の浪費だが、これを日本国の経済という観点から見るなら、大いにプラスにはたらいた。

幕府は家康の時代から家光の時代にかけて金貨(慶長小判)、銀貨(慶長丁銀)、

銅貨(寛永通宝)の三貨を発行し、幣制を統一した。そして日本は本格的な

貨幣経済社会に突入していくのだが、家光が浪費家ではなく、締りやで、

御金蔵の金を眺めているのが趣味だというような男だったらどうだろうか・・・

世間一般に貨幣はいきわたらない。幣制の統一、貨幣経済社会への移行とは名ばかりで、

原始的な物々交換経済といった状態から容易にぬけだせなかったにちがいない。

そうではなく浪費家だったから、多額の貨幣が世間一般にいきわたり、また大いに流通し、

商品の動きも活発になった。

家光の在位は元和九年(1623)から慶安四年(1651)までの足かけおよそ三十年の間である。

商品経済活動が活発になったのは十七世紀後半といわれている。

十七世紀後半に商品経済活動が活発になったのは、一歩手前の段階で、家光の浪費という

種が撒かれていたからである。家光の浪費こそが十七世紀後半の、貨幣経済活動と

商品経済活動が一体となった経済の興隆をもたらしたと言っても過言ではないだろう。




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Posted by かず at 09:17Comments(4)江戸の経済