2011年01月05日
お節の花形って・・・

たいがいにしろと数の子引ったくり (江戸川柳)
やっぱり「黄色いダイヤ」こと数の子は、今も昔も、
お節料理の花形だ。ああもったいない、そんなにバクバク大口に食べるもんじゃない、
と取り上げた、と、現代のわれわれなら思うところだが、ブー、不正解。
江戸の頃は、数の子なぞ、きわめて安値な塩蔵食品で、下種なおかずのひとつだった。
黄金色のめでたさと子孫繁栄のことほぎにつながる「数の子」という名を買われ、
お節の定番キャストという大出世の栄誉を得たのだ。
酒の肴としても敬遠されており、ひたすら大飯食らいの友として重宝がられた。
それは、音立ててものを噛みながら酒を飲むというのが、江戸前の美意識にマッチせず、
野暮と見なされたからだ。酒の肴は、嘗める塩、味噌類(魚介のみそ・内臓も含む)が主流で、
他は、豆腐・刺身など、音なく噛めるものに決まっていた。だから、
音が滅法派手な数の子なんてとんでもない。
この句は、四日過ぎの年始客(引ったくるくらいだから、おそらくは親しい友人)が、
下戸の大食漢で、四日過ぎに炊いた、いとしの銀シャリを、お節の残りの数の子があったばかりに、
もう一膳とおかわりする。いいかげんにしろと亭主がせつながるほどの食べっぷり、
そういった情景だ。数の子ばかりでなく、当時の塩蔵食品は、なべて塩がきつく、
一切れで飯椀ひとつ軽く平らげられたという。つまり、
これがあると飯が進みすぎて困るおかずだった。それだから、後生大事の「御飯」を、
数の子ごときに、そうやられちゃたまったもんじゃない、てぇのが正解。
(by杉浦日向子さん大江戸美味草紙より)