2011年01月06日
江戸っ子の正月・・・散歩とゴロ寝

江戸庶民の正月は、これからの一年をつつがなく過ごすための充電休暇だった。
だからもっぱら寝正月。「骨休め」と称した。のんびりゆったりくつろいで、
家の中でゴロゴロしたり、外へ出てプラプラしたりした。
ことに年明けの日は、初日のお天道様から、まっさらな一年の清く良い「気」が
地に降りそそぐから、天に向かって体を開いていれば、それを満身に受けることによって
丈夫な一年が過ごせると信じられた。
部屋ではコタツに足つっこんで仰向けでゴロ寝、路では空を仰いで散歩(当時は車の往来が無いから安心)
したものだ。
年礼に正装し、忙しく駆け回るのは、上司のご機嫌伺いの武士と、お得意様を繋ぎ止めたい商人ばかりで、
大方は小正月までは絶対休暇のバケーション、のどかな初春を謳歌した。
万事がおめでたい正月ならではの、おもしろい民間慣習のひとつは、
忌みことばだろう。せっかく新品の春だから、すこしでも縁起の悪い言葉は、なるべくなら控えたいと、
江戸らしい洒落っ気が発揮された。たとえば・・・
「割れる(皿や小鉢)」→「増える」
「くたくたにくたびれる」→「たくさん儲ける」
「損をした(予定外の出費)」→「咲かす(咲く)」
「出て行く(去る)」→「参る」などなど・・・
また、何もかもに「初」のつく新年は、旧年の免罪符。だからこそ毎年待ち遠しい。
2011年01月05日
お節の花形って・・・

たいがいにしろと数の子引ったくり (江戸川柳)
やっぱり「黄色いダイヤ」こと数の子は、今も昔も、
お節料理の花形だ。ああもったいない、そんなにバクバク大口に食べるもんじゃない、
と取り上げた、と、現代のわれわれなら思うところだが、ブー、不正解。
江戸の頃は、数の子なぞ、きわめて安値な塩蔵食品で、下種なおかずのひとつだった。
黄金色のめでたさと子孫繁栄のことほぎにつながる「数の子」という名を買われ、
お節の定番キャストという大出世の栄誉を得たのだ。
酒の肴としても敬遠されており、ひたすら大飯食らいの友として重宝がられた。
それは、音立ててものを噛みながら酒を飲むというのが、江戸前の美意識にマッチせず、
野暮と見なされたからだ。酒の肴は、嘗める塩、味噌類(魚介のみそ・内臓も含む)が主流で、
他は、豆腐・刺身など、音なく噛めるものに決まっていた。だから、
音が滅法派手な数の子なんてとんでもない。
この句は、四日過ぎの年始客(引ったくるくらいだから、おそらくは親しい友人)が、
下戸の大食漢で、四日過ぎに炊いた、いとしの銀シャリを、お節の残りの数の子があったばかりに、
もう一膳とおかわりする。いいかげんにしろと亭主がせつながるほどの食べっぷり、
そういった情景だ。数の子ばかりでなく、当時の塩蔵食品は、なべて塩がきつく、
一切れで飯椀ひとつ軽く平らげられたという。つまり、
これがあると飯が進みすぎて困るおかずだった。それだから、後生大事の「御飯」を、
数の子ごときに、そうやられちゃたまったもんじゃない、てぇのが正解。
(by杉浦日向子さん大江戸美味草紙より)
2011年01月04日
大社で初詣・・・
会社のみんなと、初詣のアト、三島の凸凹って店にいきました。
とても美味しゅうございました。
バドさん御馳走様でした。
ところで、9時10分に三島駅で9時50分に自宅でのんびりブログチェックなんて・・・
とっても気持ちいいっす・・・一駅だけど、新幹線で帰ってきました。
江戸では考えられません・・・あ~ とても楽しいな~・・・・・
明日から仕事初め・・・がんばりむあ~す
やっぱり初詣は、伊豆一の宮ですねって・・・訳わからん・・・酔いました・・・寝ます。
とても美味しゅうございました。
バドさん御馳走様でした。
ところで、9時10分に三島駅で9時50分に自宅でのんびりブログチェックなんて・・・
とっても気持ちいいっす・・・一駅だけど、新幹線で帰ってきました。
江戸では考えられません・・・あ~ とても楽しいな~・・・・・
明日から仕事初め・・・がんばりむあ~す
やっぱり初詣は、伊豆一の宮ですねって・・・訳わからん・・・酔いました・・・寝ます。
Posted by かず at
22:15
│Comments(6)
2011年01月03日
ともあれ初春・・・おはようございます。

三日喰う雑煮で知れる飯の恩 (江戸川柳)
元旦、二日、三日、の「三箇日」、江戸市民はそろって「雑煮椀」を食べるならわしだった。
これが、天下の米食い虫、銀シャリ大好きの江戸っ子にとっては、三日にわたる餅責めイコール、
初辛抱のしどころだったのである。
本来、餅はハレの日の食膳を飾る、ご馳走であり贅沢品だ。それをないがしろにするほど、
江戸っ子とは白米心棒が強いケシカランヤツバラともいえるが、そうばかりじゃない、
ちょっとした事情もあった。
江戸は、諸国からたくさんの人が流入して暮らす多国籍都市だったので、
正月は、ひとつ屋根ごとに異なる「ふるさとのお雑煮」が作られた。
白味噌、おすまし、けんちん、煮込み、などなど。もちろん、江戸にも江戸の
「ふるさとのお雑煮」がある。
江戸の雑煮は、家康が江戸入りしたころから、ずっと変わらず守り伝えられており、
将軍をはじめとし、旗本、御家人、中間、小者といった使用人まで、貴賤の別なく、
みな同じ雑煮を食べた。具は、いたってシンプル。
焼いた切り餅と醤油のすまし汁。これに小松菜、大根、里芋が、泳ぐようにパラっと入る精進もの。
あくまで、餅と汁が主役なので、その他の具は、一、二品欠けてもかまわない。
これは、めでたさに浮かれる正月気分を引き締め、奢りを戒め、質実剛健の
「もののふのこころ」を忘れないようにしようという、いかにも、
したたかな狸おやじ・家康好みの思い付きである。主従平等の椀を三日間食することにより、
家内の団結をいっそう高める効果も含まれていた。
なにせ創業者・神君家康公の教えは絶対だ。こうして代々の将軍により、泰平の世に
「質素な雑煮」受け継がれていく。社長がそうするのだから、
まさか部下が鶏肉や魚の入った「おいしいおぞうに」を食べる訳にはいかず、
サラリーマンの悲しさや、右へならえで延々そうなった。
この雑煮が、いつしか庶民層にも浸透し、裏長屋の連中も、三箇日は、これを律儀に食べた。
ほとんどフリーターの彼らが、なにも正月から辛気臭く堅苦しい「もののふのこころ」
に付き合ってやらずとも良いのだが、やはり「お膝元」・・・・
「おれっちの殿さん」の親しみがそうさせたのだろう。が、もし「家康の雑煮」が、
もっとおいしいものだったなら、江戸っ子は、三日食べても米が恋しくならなかったのではないか?・・・。
明けて四日目の「白い御飯」のありがたさ。思わず手をを合わせててから、箸をつけたことだろう。
それでも、能天気な江戸っ子のこと。わざと喉をカラカラにしてから飲むビール同様、
それはそれで正月の一興として愉しんでいたにちがいない。
(by杉浦日向子さん大江戸美味草紙より)
2011年01月01日
明けましておめでとうございます。
昨年中は、本当にお世話になりました。
おかげさまで、25㌔のダイエットに成功する事ができました。
今後も、江戸ブログを続けながら、体型維持に努めてまいります。
本年も宜しくお願い申し上げます。


かずのダイエット100kgからの脱出→I LOVE!! お江戸・・・
渡辺 和広
平成23年1月1日
おかげさまで、25㌔のダイエットに成功する事ができました。
今後も、江戸ブログを続けながら、体型維持に努めてまいります。
本年も宜しくお願い申し上げます。


かずのダイエット100kgからの脱出→I LOVE!! お江戸・・・
渡辺 和広
平成23年1月1日
Posted by かず at
01:25
│Comments(19)