お江戸の酒合戦・・・

かず

2011年01月13日 07:11

おはようございます。

皆様、年末から続く忘新年会・・・いかがおすごしでしょうか

間違っても「酒の飲み比べ」なんてしてませんよね?(体に悪いので止めましょう・・・(^^;)

まあ、世の中平和だと、変なことしがち・・・

動乱の時代には、英雄の武勇談が熱く語られますが、四海波静かと言う泰平の世には、血なまぐさい

話は不似合い・・・英雄にかわって世人の喝采を浴びたのが、いわゆる「奇人・変人」・・・

江戸の時代もそうです。そんな奇人変人が集まって、お酒で合戦・・・

・・・いわゆる飲み比べをしておりました。



以下、杉浦日向子さん大江戸美味草紙より・・・

 泰平の江戸では、「酒合戦」というバカげた呑みくらべが、そこかしで、もよおされた。

「酒合戦」につかわれる大盃を、俗に「武蔵野」と称す。

江戸は、「武蔵野は月のいるべき山もなし、草より出でて草にこそ入れ」と、

かつて平安の都人を詠嘆せしめた辺境の荒地だった。見渡す限りの原野。

すなわち、野見尽くせぬ・・・呑み尽くせぬ・・・

それほどなみなみたっぷり酒の入る盃と言う意味だ。大相撲の千秋楽に、優勝力士が抱える朱盃へ、

月とススキの蒔絵をほどこせば「武蔵野」の基本形となる。

 文化十四年(1817)三月二十三日、両国柳橋の料亭、「万八楼」での記録が、

江戸第一の盛会として、世に名高い。

六十八歳の堺屋忠蔵は、三升入りの大盃で三杯(九升)呑み、かたや三十歳の鯉屋利兵衛は、

おなじ大杯で六杯半(一斗九升五合)呑んだもののさすがにぶっ倒れ、しばし休んだのち、

茶碗に水を十七杯飲んだとか、四十七歳の伊勢屋伝兵衛は、八升一合呑んだあと、

飯を三杯食って、茶を九杯飲んで、さらに甚句を踊ってみせたとか、一斗五合を呑んでぶっ倒れたが、

そのあと砂糖湯を茶碗で七杯飲んだ屋敷の使用人などなど、なんともあきれ果てる数字が、

うんざりするほどえんえんと並んでいる。

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