ともあれ初春・・・おはようございます。

かず

2011年01月03日 07:20



三日喰う雑煮で知れる飯の恩     (江戸川柳)

元旦、二日、三日、の「三箇日」、江戸市民はそろって「雑煮椀」を食べるならわしだった。

これが、天下の米食い虫、銀シャリ大好きの江戸っ子にとっては、三日にわたる餅責めイコール、

初辛抱のしどころだったのである。

本来、餅はハレの日の食膳を飾る、ご馳走であり贅沢品だ。それをないがしろにするほど、

江戸っ子とは白米心棒が強いケシカランヤツバラともいえるが、そうばかりじゃない、

ちょっとした事情もあった。

江戸は、諸国からたくさんの人が流入して暮らす多国籍都市だったので、

正月は、ひとつ屋根ごとに異なる「ふるさとのお雑煮」が作られた。

白味噌、おすまし、けんちん、煮込み、などなど。もちろん、江戸にも江戸の

「ふるさとのお雑煮」がある。

江戸の雑煮は、家康が江戸入りしたころから、ずっと変わらず守り伝えられており、

将軍をはじめとし、旗本、御家人、中間、小者といった使用人まで、貴賤の別なく、

みな同じ雑煮を食べた。具は、いたってシンプル。

焼いた切り餅と醤油のすまし汁。これに小松菜、大根、里芋が、泳ぐようにパラっと入る精進もの。

あくまで、餅と汁が主役なので、その他の具は、一、二品欠けてもかまわない。

これは、めでたさに浮かれる正月気分を引き締め、奢りを戒め、質実剛健の

「もののふのこころ」を忘れないようにしようという、いかにも、

したたかな狸おやじ・家康好みの思い付きである。主従平等の椀を三日間食することにより、

家内の団結をいっそう高める効果も含まれていた。

なにせ創業者・神君家康公の教えは絶対だ。こうして代々の将軍により、泰平の世に

「質素な雑煮」受け継がれていく。社長がそうするのだから、

まさか部下が鶏肉や魚の入った「おいしいおぞうに」を食べる訳にはいかず、

サラリーマンの悲しさや、右へならえで延々そうなった。

この雑煮が、いつしか庶民層にも浸透し、裏長屋の連中も、三箇日は、これを律儀に食べた。

ほとんどフリーターの彼らが、なにも正月から辛気臭く堅苦しい「もののふのこころ」

に付き合ってやらずとも良いのだが、やはり「お膝元」・・・・

「おれっちの殿さん」の親しみがそうさせたのだろう。が、もし「家康の雑煮」が、

もっとおいしいものだったなら、江戸っ子は、三日食べても米が恋しくならなかったのではないか?・・・。

明けて四日目の「白い御飯」のありがたさ。思わず手をを合わせててから、箸をつけたことだろう。

それでも、能天気な江戸っ子のこと。わざと喉をカラカラにしてから飲むビール同様、

それはそれで正月の一興として愉しんでいたにちがいない。

(by杉浦日向子さん大江戸美味草紙より)

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