江戸の屋台・・・①
江戸の町には、あらゆる種類の行商人が路上を行き来しています。
幕末に来日した外国人は「一歩も外に出ることなく、いっさいの買い物を足すことができる」と、
江戸の町の便利さ言っています。これら行商のうち、飲食物に関しては、終夜、行われていました。
江戸も後期になると、重商主義の政策が庶民生活を豊かにしたので、それまで貴重品であった灯油が
気軽に買えるようになってきます。結果、江戸市民は、幕末になるほど宵っぱりになりました。
夜遅くまで起きているから腹が減る、というわけで飲食物の屋台が増えだしました。
今でも、夜中に仕事をしていると、チャルメラが聞こえてくることがあります。
屋台の食べ物は、なにかしら郷愁があって、さほど空腹でなくとも食べたいような誘惑にかられます。
江戸の夜は、自動車の往来がないから落語の『うどんや』みたいに、じいさんが、しわがれ声で、
「うんどん、そばきりィ」とつぶやいても、けっこう効果があったようです。
(杉浦日向子さん、一日江戸人より)
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