「しかし、まァ何といっても、わしらの世界で一番うまいのは豆腐で、古来《豆腐百珍》
といって百通りの料理がある。昆布をしいて湯豆腐を生醤油で食べるのもうまいが、
醤油の中へねぎを切り込んだりするのはいけないことじゃ。(中略)豆腐の一番うまいのは生のまま
醤油をかけて食べるのじゃが、豆腐が出来るのを待っていて、水へ入れずにすぐ皿にとり、
温かいうちにすぐ食べるのじゃ。(中略)わしは金物で豆腐を切るのは絶対に禁じている。
あれは木のしゃもじのようなもので切らなくてはいけない。水へ入れておくのは愚の至りじゃ。」
(『味覚極楽』中公文庫より)
語り手は増上寺大僧正・道重信教氏(1856-1934)・・・
道重大僧正は、こうもいっております。
「冷飯に沢庵は、旨いものじゃ」・「大根は昆布を敷いたのへ、皮をむかずにふたつ位
ポキリと折って煮たのがよろしい」・「砂糖などを使ったり、外のものを入れて味をとったり
鰹節をかけたりしては、せっかくの豆腐の味がなくなるのじゃ」などなど・・・
各界の名士や食通が味覚談義をする明治時代にあって、
米、大根、豆腐の味わいを素朴に語る大僧正は、まさに「江戸人の舌」を持っていたのでしょう。
前回でも言ったとおり、私は、食通では、ありませんし江戸人の舌を持っているわけでもありません
三白を語るには、あまりにも味覚が、おそまつ・・・豆腐料理もあまり知りません・・・
そこで、道重大僧正の話にもあった、「豆腐百珍」のはなしを少し・・・
天明二年(1782)、大阪でこの書が出版されるや、大評判を呼び、たちまち江戸を巻き込み
第一次食ブームを起こしました。それまでの料理本が実用一辺倒で、料理法や献立を紹介
するのみだったのが、素材を豆腐に限定して、料理法のバリエーションや格付けを楽しんでおり
同時に、豆腐料理を知的興味の対象としています。
あまりの人気に、続編も出て、豆腐だけで二百三十八種類の料理法を紹介しています。
どれも調理法が簡単で、美味?・・・(試してませんが、そうだと思います)との事で、
以来、「百珍もの」と呼ばれ「鯛百珍」「甘藷百珍」「海鰻百珍」「玉子百珍」と
おびただしい追従本を生み、百珍ブームを築いていったそうです。
豆腐といえば忘れられない話があります。越後長岡藩主・牧野忠敬は、藩財政立て直しの為
ハードな倹約を実行し、自ら進んで木綿を着用し、豆腐半丁をおかずとして五年間過ごしました。
主君が質素にすれば、家臣もそれにならいますから、その効果は絶大でした。
彼が藩主になったのは十六歳の時それから足かけ五年、倹約で国庫もうるおってきた、矢先に
二十歳の若さで、亡くなっております。あわれです。
江戸後期は、どの藩も深刻な財政難により、想像以上の倹約を余儀なくされ、多くの大名が
献立に豆腐を用いました。
現存する大名家の食事記録によれば、献立は一汁一菜で月に一日を除き全て豆腐料理でした。
同じ頃、江戸の職人は一汁三菜、庶民は百珍ブームに浮かれていました・・・
大名が、生活の為の栄養として安価な豆腐を食べていたのに対し
庶民は、趣味の延長で豆腐を楽しんでいた・・・なんとも、皮肉なはなしです。