江戸の食・・・

かず

2010年11月10日 22:03

先日、忘年会で、ある料理屋さんに行ってきましたが・・・

「いや〜、美味しかったですね〜」材料にもこだわっていて、手間も掛けてる

しかも、安い・・・今は、総体的に物が安いですが、特に「食」に関しては、

びっくりするほですね、ランチなどは、ワンコインでかなり美味しいものが、食べれたりします。
(これで、商売が成り立つの?・・・なんて心配になるくらいですね)

15年〜20年前では、考えられませんでした。(安いのは、ファーストフード店くらいだったのでは・・・)

その当時は、「空前の食ブーム」とか「一億総グルメ時代」なんて、新聞や雑誌に書かれたりして

だれもが、食事には、相当お金を使っていたのでは・・・(ファーストフード店も、潰れてしまうほど)

例えば、三陸沖の、本マグロを食べに行こうとか、シェフに今日の材料の仕入れ具合を聞いた上で

メニューを決めるなどという、きいたふうな事をしていた方も結構いたのではないでしょうか、

これは、食通の文化というより、食通ごっこというゲームです。
(評論家きどりの人、結構いましたよね・・・)

こんな時代が江戸の昔にもありました。江戸最後最大の爛熟期、文化、文政の頃です。

浅草・山谷の「八百善」(創業宝暦年間〜現在・・・平成十六年閉店)が、

食通の桧舞台で、そこには数々のエピソードが伝えられています。

例えば、ある時、酒井抱一(大名の弟で当時随一の通人)が、ここの刺身を一口食べて

箸を置いたので同席の物がいぶかしんだところ、

「研ぎたてで、すすぎの足りない包丁の移り香がある」と言ったといいます。

呆れる話は、まだあります。

通人が二〜三人で酒を飲み、飽きたから旨い茶漬けでも食おうと、八百善へ立ち寄った。

しばらくお待ち下さいと、半日も待たせて、ようよう、初物の瓜と茄子の粕漬を塩出しして

刻んだ香の物と煎茶を出した。さらさらと食って、いざ勘定となると一人前一両二分・・・
(この当時の一両二分は、現在のお金に換算すると20万円以上)

客が、目を丸くすると、亭主は、「茶に合う水を多摩川まで早飛脚に汲みに遣わせました」

と答えたといいます。山谷から多摩川・・・時間もお金もかかるのは当然であります。

もう一つ、こんな話もあります。

幕末、曽谷士順という医師が、姑の長崎奉行・高橋越前守の家で御馳走になった時のこと・・・

箸休めに添えられたハリハリ漬があまりにも美味しいので、たずねると、八百善のだという

次の日さっそく召使いにお重を持たせて買いに行かせた。すると代金が二分(7万5千円くらい)

だという、その訳は、「手前どものハリハリは尾張から取り寄せた一本寄りの細大根を、
 辛味の出るのをおそれて水で洗わず、はじめからミリンで洗って漬けておりますもので・・・」

だから、高いと言ったとの事・・・・・呆れてしまいます。

こんな事は、洒落と心得て、笑ってすごせば良いのでしょうが、どうもキザが過ぎます。

私は、どちらかというと、同時代に催された「大食会」ほうが好きです。

ただただ、たくさん食べた方が、勝ちという馬鹿馬鹿しさは痛快ですね、

と言う事で、次回は、江戸の大飲大食のエピソードをご紹介しちゃおうと思います。

それでは、また・・・

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