江戸の美人・・・

かず

2010年11月04日 06:55

江戸時代の美人というと、誰もが即座に思い浮かべるのが歌麿の「ポッピンを吹く女」・・・

下膨れで、小さい目、もったりとした鼻に、さくらんぼのような唇。ところが、この顔のはやったのは、

ほんの十年たらず。江戸の二百六十年間を通して、あの顔がモテたわけではありません。

今と同じで、江戸美人にも流行がありました。

当時は、錦絵が、ブロマイド代り(版画技術の向上で大量に出回った)

当時の錦絵の人気で、追ってみましょう。

はじめて登場したのは、江戸笠森稲荷前の水茶屋で働く、お仙という看板娘、

人気絵師・鈴木春信の描く彼女は、抱きしめれば折れそうな手足と、幼さの残る顔の、典型的な

清純派のイメージ・・・

続いて鳥居清長が九頭身から十頭身という、すらりと背の高い健康美人を描いています。

お仙が小鳥のような愛らしさとすれば、こちらは鶴のようなおおらかさがあります。

眉はぐっと濃くなり、妖精のようなはかなさは消え、澄んだ切れ長の目と、愛嬌あふれる口元は、

明るくおきゃんなイメージだそうです・・・

その後くるのが、歌麿です。有名なのは、浅草寺の茶屋の難波屋おきた、

両国のせんべい屋の娘・高島屋お久、芸者の富本豊雛(とよひな)の、寛政三美人・・・

三人の共通点は、おっとりした中にも、見つめる目を見つめ返すような一途さがあって、

「こんな娘と差し向かいで飲んだら、さぞや酒がうまかろう」と思わせたみたいです。

この三人は、そろいもそろって、玉の輿にのっております。

おきたは、大坂の豪商の許へ行き、豊雛は、大名家の側室にむかえられ、

お久は浅草の煎餅屋の大店に嫁ぎました。

それぞれ美貌ゆえに裕福に暮らしましたとさ・・・めでたし、めでたし・・・


明和二年(1765)~
明和三美人の一人、笠森お仙(鈴木春信)


天明四年(1784)~
健康美女???だそうです・・・(鳥居清長)


寛政八年(1796)~10年足らず
寛政三美人・左:お久・中央上:豊雛・右:おきた(喜多川歌麿)
みんな、同じにみえる・・・ぷ・ぷ・ぷ

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