武士の弁当(江戸初期・・・)
江戸初期の武士の弁当は、大変質素で簡単なものでした。
その理由として、まずあがるのは「保存」です。
江戸時代初期には、まだ、戦国の習わしが残っており常時戦場の気構え・・・
保存のきかない食事で、腹を下す事は、もってのほかで、
(腹を下せば当然、武士働きも出来ないので、というか簡単に殺されてしまいますよね)
弁当は、保存のきく簡単なものと決められていました。
また、吝嗇で知られる、家康の教えも大きな要因と思われます。
あるとき、家康の供をしていた義直(家康の九男で初代尾張藩主)が、昼に弁当箱(豪華な)を開くと
「それはなんぞ?」と家康がたずねます。義直が、「弁当です」と当惑しながら答えたところ、
「武士にあるまじきことなり、なにゆえ焼き飯を持たざりしや・・・その奢りの心にては、
国政おぼつかなし、奢りは亡国の因なり」
と大変な怒りようで、口答えもならず、義直は、往生したといいます。
少し、大げさな気もしますが、神君家康の教えとして江戸初期には、守られていたようです。
ちなみに、ここでの焼き飯は、今の焼きオニギリみたいなものだと思います。
家康の外出時の弁当は、味噌を舐めながら焼き飯を食い、茶ではなく水で流しこむというものだった
そうです。
ただし、これは、あくまでも江戸初期のはなしです。
中期以降は、武士の舌も肥え、教えも忘れられ、だんだんと贅沢なものになっていきます。
江戸城中では、保存の難しい持参の弁当に代わって、仕出しをとるようになり、
後に、同僚どうしの交代での持ち回りになったり、後輩が先輩の分も用意したりとかわっていきます。
その辺のおもしろいエピソードもあるのでいずれご紹介したいと思います。
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