水商売?・・・
江戸は、海を埋め立てた土地が多かった。そういう土地は、井戸を掘っても塩水しか出て来ないから
住民は、困った。そこで、飲料水を売り歩く水屋という商売が生まれた。
この水屋を主人公にした「水屋の富」という落語がある。
水屋が、富くじで一等の千両に当たった。千両当たっても主催した寺や神社に一割ぐらいは
寄付させられたり、三、四十両は事務費などの名目で取られることもあったから、実際には
八百六、七十両ぐらいになるのだが、勤労者の月収が、よくても三、四両という時代なのだから
八百両以上の金は大金だった。
「水屋」にしてみれば、一生遊んで暮らせるくらいの金が入ったのだから、重労働の
水売りなどやめてもよいのだが、自分が水を売りに行かなければ、今までの客は、
水も飲めない、食事の支度も出来ない。だから、自分のかわりの水屋が見つかるまでは、
この仕事をつづけようと決心した。
これが、当時ならではの商業道徳というか、客を思う、うれしい心意気だった。
(興津要氏著・・・「大江戸商売ばなし」より)
*補足
ちなみに、時代劇に出てくる井戸は、殆どが上水(水道)井戸か、掘り抜き井戸です。
上水(水道)井戸
江戸には、上水からひかれた水道がはりめぐられておりました。
水道といっても、いたって原始的なもので、高低差を利用し、
神田上水や玉川上水の水を土中の樋(ひ;とい)という木管を通し、長屋や、各家の井戸に
ひかれていました。
(水銀といって水道料もちゃんとかかりました)
掘り抜き井戸
地下の岩盤の下まで掘り抜き、良質の水を得るもので、武家や地主などの一部上流階級で、
お茶をたてたりするのに使われておりました。
水舟・水売り
本所(墨田区)・深川(江東区)は井戸や水道の水質も悪いため、
幕府の鑑札を受けた水舟業者が神田・玉川上水の水を舟に積み運び、
水売りが天秤棒で売り歩いていました。